那珂川 水紀行 vol.04
神社を訪ねてみました。
那珂川の中流域の神社をいくつか訪ねてみました。下に本からの引用も記載しましたので、ちょっと楽しい歴史探訪になると思います。
【伏見神社】
伏見神社は裂田の溝の取水口である一の堰手があるところにあります。
ここの歴史的な記載は見つかりませんでしたが、案内板に書いてあるように「伏見神社祇園祭【岩戸神楽】」が有名のようです。
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ここで、アレッ?という岩を発見しました。船型の岩ですが、これって普通表に出ていないかな?近くにある「天神宮」では似た岩(右の写真)が手洗い?になっています。もしかして、長い歴史の中で埋もれてきたのかな?だとえば阿蘇山の火山灰とか??
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昭和55年7月3日 教育春秋社発行
藤島 正之 氏著「随想 那珂川の流域」
から那珂川中流を引用してみましょう。
橋本橋の下で西畑川が合流する。やや水勢を増し白波を立てて那珂川は松雄山に直角にぶつっかり、東流し山田盆地の北を洗い、安徳台西端のすそをうねり、古来「橘の小門」といわれた峡にさしかかる。
那珂川と国道385号線の平行するこの狭の西側に「立花」という地名がある。この場所を古事記上巻に記するところの、伊邪那伎の大神の「みそぎ祓い」された「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」であると主張した学者も古来多くあった。阿波岐原という地名はないが、立花から南へ約300mの山田の小字に萩原という地名がある。
御所の原の台地、那珂川のうねりなど、地形や地名から判断すると此処が日本の故里であり、古事記の神話の舞台であると信じたくなる。
筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原の禊き祓いのときに、数々の神様が出現されることになるが、その中でも底筒之男、中筒之男、上筒之男の三柱の神様は現人(あらひと)神社の祭神でもある。そして更に志賀島の安曇連(あづみのむらじ)の祖神であるとすれば、いよいよ以って、筑紫の日向の橘の小門が、那珂川の中流にあったと断定したくなってくるのである。
現人神社の鎮座すつ処は、那珂川町の仲である。仲は音読みすればチュウであり、訓読みすればナカである。まん中という意味である。では何処の真ん中かといえば、古代奴の国は旧那珂郡位の広さの国であったようである。伊都国が糸島郡の南半を占め、志摩国が糸島郡の北半群を占めているように考えると大体奴の国時代の国の広さを伺い知ることができる。
※ここを「中」すなわち中心としたときに面白いことが分かります。北に行けば那珂川を下って海の玄関口「那の津」へ、南に行けば坂本峠を越えて吉野ヶ里遺跡がある神崎郡へ、西に行けば小笠木峠と日向峠(ひなたとうげ)を超えて伊都国へ、東に行くと大宰府なんです。魏志倭人伝に出てくるような国々の中心に位置しているんですね。
今日、大和田哲男氏著の「日本の歴史がわかる本」を読んでいたら、おもしろいことが書いてありましたので引用します。「邪馬台国の所在地についての説は多く、それこそ、論者の数だけ説があるといってもよい。ある人がおもしろいことをいっていたが、バスを降りるとき、急にひらめいて、「邪馬台国はここだ」と、降りた場所を指せば、そこで一つの説ができあがるというぐあいである。」とのことです。まだ100%確かな説が無いのならば、自分の地域で夢を膨らませるのは楽しいですね。
那珂川の中流域の神社をいくつか訪ねてみました。下に本からの引用も記載しましたので、ちょっと楽しい歴史探訪になると思います。
【伏見神社】
伏見神社は裂田の溝の取水口である一の堰手があるところにあります。
ここの歴史的な記載は見つかりませんでしたが、案内板に書いてあるように「伏見神社祇園祭【岩戸神楽】」が有名のようです。
ここで、アレッ?という岩を発見しました。船型の岩ですが、これって普通表に出ていないかな?近くにある「天神宮」では似た岩(右の写真)が手洗い?になっています。もしかして、長い歴史の中で埋もれてきたのかな?だとえば阿蘇山の火山灰とか??
昭和55年7月3日 教育春秋社発行
藤島 正之 氏著「随想 那珂川の流域」
から那珂川中流を引用してみましょう。
橋本橋の下で西畑川が合流する。やや水勢を増し白波を立てて那珂川は松雄山に直角にぶつっかり、東流し山田盆地の北を洗い、安徳台西端のすそをうねり、古来「橘の小門」といわれた峡にさしかかる。
那珂川と国道385号線の平行するこの狭の西側に「立花」という地名がある。この場所を古事記上巻に記するところの、伊邪那伎の大神の「みそぎ祓い」された「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」であると主張した学者も古来多くあった。阿波岐原という地名はないが、立花から南へ約300mの山田の小字に萩原という地名がある。
御所の原の台地、那珂川のうねりなど、地形や地名から判断すると此処が日本の故里であり、古事記の神話の舞台であると信じたくなる。
筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原の禊き祓いのときに、数々の神様が出現されることになるが、その中でも底筒之男、中筒之男、上筒之男の三柱の神様は現人(あらひと)神社の祭神でもある。そして更に志賀島の安曇連(あづみのむらじ)の祖神であるとすれば、いよいよ以って、筑紫の日向の橘の小門が、那珂川の中流にあったと断定したくなってくるのである。
現人神社の鎮座すつ処は、那珂川町の仲である。仲は音読みすればチュウであり、訓読みすればナカである。まん中という意味である。では何処の真ん中かといえば、古代奴の国は旧那珂郡位の広さの国であったようである。伊都国が糸島郡の南半を占め、志摩国が糸島郡の北半群を占めているように考えると大体奴の国時代の国の広さを伺い知ることができる。
※ここを「中」すなわち中心としたときに面白いことが分かります。北に行けば那珂川を下って海の玄関口「那の津」へ、南に行けば坂本峠を越えて吉野ヶ里遺跡がある神崎郡へ、西に行けば小笠木峠と日向峠(ひなたとうげ)を超えて伊都国へ、東に行くと大宰府なんです。魏志倭人伝に出てくるような国々の中心に位置しているんですね。
今日、大和田哲男氏著の「日本の歴史がわかる本」を読んでいたら、おもしろいことが書いてありましたので引用します。「邪馬台国の所在地についての説は多く、それこそ、論者の数だけ説があるといってもよい。ある人がおもしろいことをいっていたが、バスを降りるとき、急にひらめいて、「邪馬台国はここだ」と、降りた場所を指せば、そこで一つの説ができあがるというぐあいである。」とのことです。まだ100%確かな説が無いのならば、自分の地域で夢を膨らませるのは楽しいですね。
この記事へのコメント
そして素晴らしい画像を見せていただき楽しんでいます。
伏見神社って由緒あるみたいですね。
京都の伏見稲荷は行ったことがありますが・・・